世間は狭いと思う瞬間
今日は中野区にある建設会社へ打合せのためご訪問。
和やかに社員の皆様をご紹介頂くなかで、
なんと会津若松出身の方がいたのである。
福島県出身の方とは年に1回程度は遭遇するが、会津若松市民となるとそうは無い。
例えるなら、アマゾンのジャングルで日本人に出会うようなものである。
しかもご実家をお伺いすると小、中学校が同じ地区ではないか!
ということは後輩?
こうなってくるとアマゾンの遺跡から日本刀を発見するくらいの確率になる。
(↑表現が適切でない?)
同じ郷里の人に出会うのはとても嬉しいが、ここで気になる事がある。
それは、我が郷土”会津若松市”は恐ろしく狭いということ。
黙っていても勝手にディスクロージャーされてしまうのだ。
街中を歩けば、知り合いに遭遇することは至って普通。
彼女とのデート現場を親に見られるのはかなり高い確率で皆経験しており、
友人が交際を申込んで断られた相手が実は遠い親戚で
普段会わない叔母さんにまで情報が筒抜けだったり、
アダルトビデオ借りに行ったら学生だから駄目だと断ってきた店長が
クラスメイトの父親で次の日クラス中に知れ渡ったとか、
車で事故った相手が友達だったとか恐ろしい逸話が数多く存在する。
そう、当人同士は全く面識が無くても親兄弟が知っている可能性は高いのである。
「あ~〇〇さんとこの息子だよ。」、「〇〇君のお兄さんだよ。」みたいな感じで
ツラが割れている場合が良くある。
「でもこれってやましい事が無ければ気にする必要無いよね。」とお思いでしょう!
いやいや、何をおっしゃいます、
産まれた時からプライバシー皆無の情報開示の危機にさらされ続け、
それにより皆何がしかのトラウマを抱える田舎モンは
同郷の方にお会いすると瞬間的に軽く胸騒ぎするものでありんす。
↑自分だけ?