祭りのあるべき姿を見る
祭り男は、この三連休に静岡にある妻の実家へ赴く。
袋井市浅羽町で行われる秋祭り、八幡神社大祭を見てきた。
人口20,000人弱の町だが、この三日間は町中が祭りの熱気に包まれる。
地区ごとの”山車”が総勢十数基、
威勢のいい掛け声と太鼓、笛の音そしてひょっとこや般若が踊りながら町中を練り歩く。
一同は八幡神社へ集結するのだが、他の山車が到着するまでその勢いは止まらない。
そして全ての山車が集結すると、先程とは打って変って厳かに巫女達の舞が奉納される。
続いて、ひょっとこと般若の舞が奉納される。
なんと踊りを奉納したのは子供たち。
ひとしきり舞が奉納されると、再び威勢のいい掛け声が響き出し山車が動き出す。
山車には明りが灯り、祭りは夜更けまで続いていくのであった。
この祭りで驚いたのは、全てと言っていい町の人達が皆祭りモードであるということ。
参加しなければ町民では無い!と言わんばかりに。
山車を担がない人も皆自分の町名の頭文字を背負った半被を着て参加している。
観光客は見当たらない(私くらいではないだろうか)。私服でいる方が浮いてしまうくらいだ。
皆この日のために老若男女問わず全力で準備してきた事がその熱気から窺い知れる。
これって祭りの本来の姿ではないだろうか?
観光客のためのパフォーマンスでもなく、他県の団体が参加する踊りでもなく、
誰のためでもない自分たちのための、伝統を重んじた祭りである。
ある意味、部外者には疎外感を感じるさせるほど結束したこの祭りのなかで、
私は古の時代にタイムスリップさせられたかの様な錯覚を覚えた。